菊池と西郷翁

【菊池一族】
熊本県の北部、現在の熊本県菊池市を中心に平安時代後半から戦国時代(1070年~1532年)までの約450年もの間、活躍した武士集団です。

一族の大きな魅力は誠実さで、代々朝廷の忠臣として奮闘し、たとえ不利な立場になったとしてもその信念を覆すことはなく、一途に志を貫き通したのでした。

最盛期の南北朝時代には、全国的な北朝有利の状況にあっても南朝の雄として最後まで戦い抜き、一時は九州を平定し、その愚直なまでに信義をつらぬく姿勢は、後の世にまで語り継がれています。

菊池一族(全国菊池の会㏋引用)

【西郷隆盛翁】
幕末から明治にかけての政治家で、明治維新や西南の役等で名を馳せ、近代日本の礎を創りました。西郷隆盛翁の祖先発祥の地が熊本県菊池市七城町西郷地区にあります。

西郷家は菊池氏初代則隆公の子正隆公が現在の熊本県菊池市七城町西郷地区に居を構え、西郷太郎と称したことから始まります。

西郷家26代の昌隆(九兵衛)が元禄時代に鹿児島の島津氏に仕え、鹿児島に居住、この子孫が西郷隆盛翁となり初代西郷家から32代目にあたります。

西郷家

西郷地区の増永城(西郷家居城)には、明治の文豪徳富蘇峰揮毫による「西郷南洲祖先発祥の地」の記念碑が建てられています。

西郷南洲先生祖先発祥の地(徳富蘇峰揮毫)

【龍郷町との関係】
西郷隆盛翁は生涯のうち約3年間を幕府からの追撃を逃れるために奄美大島の龍郷町で「菊池源吾」の名前で居住しました。

そして、龍郷町の文化や教育に大きな影響を及ぼしたと言われ、龍郷町には居住した住まいや様々な資料が残され顕彰されています。

菊池源吾住居地(龍郷町㏋

【菊池源吾】
奄美大島で名乗った「菊池源吾」は漢文では「我の源は菊池也(ワレノミナモトハキクチナリ)」と訳されます。

龍郷の愛カナとの子供にも菊次郎、菊草といずれも「菊」の一文字を使い、自分の出自が菊池一族の流れであることを常に意識していたようです。

菊池源吾

【菊池と龍郷町
菊池源吾(西郷隆盛翁)を介して翁の祖先発祥の地である熊本県菊池市と3年余りを過ごした鹿児島県大島郡龍郷町。

2007年(平成19年)からシンポジウムなど民間レベルでの交流を続け、2012年(平成24年)に友好都市の契りを結びました。
(次号へつづく)

南海日日新聞記事
津留今朝寿氏
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