2025年、私の読書
貞観政要(じょうがんせいよう)
今から約30年前に買い求め、諸々の事情で本棚の奥に置き忘れた私の一冊が「貞観政要」だ。
この本は、古来から帝王学のほとんど唯一の教科書として珍重されてきた。
1975年に発行され、後の10年の間、五回も改訂されたこの本を当時、理解するのが難しく、只々活字を追っていたのを思い出す。
この本を買った動機は定かで無いが、当時としては破格の値段(1,900円)を安い給料から出し、求めたのはそれなりの意味があったのだろうが、どうにも思いだせない。
その後、38年の勤めを終え、再度、本棚から引っ張り出し読み返すと、不思議に本の内容が理解できた。この本の理解には30年の時間と社会経験が必要だったのだ。納得!
「世界帝国王朝の基盤を固めた名君太宗と重臣房玄齢・魏徴
らが語り合う経営・処世の要諦‼ 北条政子が心酔し、家康
が愛読し、明治天皇が関心を寄せた指導者のための聖典‼」
帯に書かれたこの言葉にこの本の歴史と重さを感じる。なぜ、いま”帝王学”なのか?
この本のはしがきには、「古をもって鑑とせよ」とあり、❝帝王学を守成(守り)の時代に生きるトップの人間学❞ であるとしている。
残り少ない私の人生において、混沌とする国内外の情勢を睨みながら、歴史に裏打ちされた古代の指導者たちの問答を聴き、自分なりの解を求め、2025年を心身共に豊かで有意義な歳としたい。
「2025年私の読書」シリーズとして、貞観政要(じょうがんせいよう)での皇帝と臣下の問答を紹介しながら、私なりの解釈を加えたい。
まず、第一弾は
「流水の清濁はその源にあ
り」
「源清めば流れ清み、源濁れば流れ濁る」が出典と言い、これを企業の管理職と部下の関係に置き換えてみると、「部下が言うことを聞いてくれない」とこぼす前に、まず、自分の普段の言葉をチエックしてみる必要があろう。
部下に原因があるのではなく、自分の方にこそ、より大きな原因があることに気づく。
正に的を得た解である。
現代社会においても、自分を含め不平不満が蔓延り、その原因は政治家や官僚のせいにしている感がある。先ず、自分の行いを見直すことが先決である。