貞観政要(第5章 名君の条件)

貞観政要(じょうがんせいよう)
私のお気に入りの一冊だ。この本は、古来から帝王学のほとんど唯一の教科書として珍重されてきた。

「世界帝国王朝の基盤を固めた名君太宗と重臣房玄齢・魏徴らが語り合う経営・処世の要諦‼ 
北条政子が心酔し、家康が愛読し、明治天皇が関心を寄せた指導者のための聖典‼」

帯に書かれたこの言葉にこの本の歴史と重さを感じる。なぜ、いま”帝王学”なのか?
この本のはしがきには、「古をもって鑑とせよ」とあり、❝帝王学を守成(守り)の時代に生きるトップの人間学❞ であるとしている。正に、現代社会の為政者の必読本では無いかと思う。

一昨日9月26日は私の68回目の誕生日でした。残り少ない私の人生において、混沌とする国内外の情勢を睨みながら、歴史に裏打ちされた古代の指導者たちの問答を聴き、自分なりの解を求め、2025年を心身共に豊かで有意義な歳としたい。

「2025年私の読書」第三弾
流水の清濁はその源にあり

貞観初年太宗は上書して、へつらい者を退けるよう進言した者に対し、傍にひかえていた宰相の封徳彙を振り返り「流水が澄んでいるか濁っているかは、源の良しあしにかかっている。君主と人民の関係を河にたとえれば、君主は源、人民は流水のようなものだ。

「君主が自ら詐術を弄しておきながら、臣下にまっとうなことを期待するのは、ちょうど濁った水をそのままにしておいて流水の澄むことを望むようなもの、どだい無理な話ではないか。わたしは、かねてから魏の武帝(曹操)にはあまりにも詐術が多いので、その人物については軽蔑の念を抱いているが、この男の申すことは、武帝のやり口とそっくりだ。人民を導く立場にある者としては、このような策を採用することはできない」

太宗は上書したくだんの男に向き直って、「わたしは、人民に対してなによりもまず信を重んずることを望んでいる。自らの詐術の見本を示したくはない。そのたの策は、一応もっともであるが、採用することはできぬ」(誠信編)

源澄めば流れ澄み、源濁れば流れ濁る
太宗の言う君主と人民の関係を、企業の管理職と部下の関係に置き換えても、同じことが言えよう。部下が言うことを聞いてくれないとこぼすまえに、まず、自分のふだんの言動をチエックしてみる必要があろう。部下に原因があるのではなく、自分のほうにこそ、より大きな原因があることに気付くかもしれない。

自民党総裁選の焦点となっている「外国人問題や物価高、関税政策による国民生活の疲弊」は参院選で圧勝した野党の争点でもあった。衆参で過半数を取れない自公政権が新たな連立を模索する術であることは少しは理解できるが、「国の在るべき姿」や「国際社会での果たす役割」の議論を野党と丁々発止で行うことを国民は望んでいるのではないでしょうか。少なくとも私は望んでいる。併せて、我々国民は目先の豊かさや安定だけを叫ぶのではなく、将来世代の事を第一義に考えることが責務と考える。

今の状況は自民党内のリーダー争いであり、国民に向いた政策論争が無い。太宗の言う君主と人民を「リーダーと国民」に置き換えると、国民が選挙で言うことを聞いてくれない(自民党に投票しない)と嘆くよりも、自民党が国民の怒りや苦しみ真っ向から向合っていない事が大きな要因であることに気付くべきことであろう。「源澄めば流れ澄み、源濁れば流れ濁る」はまさに、国民に向合った政治の在り方を言い表しているのではないかと思う。

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