君臣並耕(孟子)
細川護熙氏は「私のプリンシプル(熊日掲載)」で政治家の基本を中国の孟子の言葉から次のように引用・表現している。
君臣並耕とは「真の賢者は人民とともに耕作して食い、朝食夕食の炊ぎなど雑用をいとわずして、政治をみるものなのだ」
「生き方の美学(中野孝次著)」では、中国哲学の権威「小島祐馬」は昭和のはじめ京大を定年後、学内挙げての学長推挙を生まれ故郷で一人暮らす老齢の父を世話するために断ったと言う。
また、敗戦後間もない頃、吉田茂首相からの文部大臣要請に「わしは麦を作らんならん。そんなことをしている暇は無い」と断ったとも言う。
小島は恰好をつけてそんな事を言って断られたのでは無く、彼はその生涯をかけた学問を通じて真に「君臣並耕」を政治の基本と信じた行動であったと言う。 (以上、私のプリンシプルから引用)
どうも、現代社会での政治を見ると「人民と共に」の視点が抜け落ち、政治家が世襲の家業となり特権階級化している。
特に、昨今の「政治とカネ問題」は人民(庶民)の感覚と大きくかけ離れ、その稚拙な言い訳には正当性が無く、正に政治家の劣化を表している。
この原因は、政治家やそれを目指す人たちが、先人たちが説いてきた帝王学や指導者の条件や資質についての学習が欠けていると考えられる。
さて、どうする日本。 選挙制度改革もさることながら、政治家を志す人たちの教育機関や一定のハードルを設ける必要も有るのではないか?
細川氏は昨今の政治家の見苦しい行状を見るにつけ、「小島祐馬」と言う人の言動は、正に泥中の蓮とでも言うべき清涼剤と現状憂いている。
我々有権者の意識改革と民主主義の原点でもある選挙への関心・参画が必要ではないか。