細川護熙氏の見る白洲次郎氏
前回、白洲次郎氏の著書「プリンシプルのない日本(新潮社文庫)」と細川護熙氏の自筆エッセイ「私のプリンシプル(熊日新聞)」から何故、今「プリンシプルなのか」を検証してみた。
今回も熊日連載中の(細川護熙「私のプリンシプル」)からプリンシプルについて考えてみたい。
【細川護熙氏】
白洲次郎氏の「原則」は人間が作った「規則」ではなく、自分が信じる思想や哲学である。
【白洲正子全集】
白洲の妻正子は(『白洲正子全集』第12巻)」で次郎は直感的に共鳴するものに理解を示したと書いている。
ある時、僧侶が門外不出の文書を熱心な学徒に見せたことは、寺の規則には反するものの、 人を利する済度(仏や菩薩が迷い苦しんでいる人々を救って成仏させること。)と言う仏の原則には忠実であると言う確信からであり、自らの原則に沿ったものであると白洲は解釈した。
また、正子は次郎が「プリンシプル、プリンシプル」と毎日うるさく、それと言うのも現代の日本人にプリンシプルが欠けているのが我慢ならなかったのである。と
細川護熙氏は白洲次郎が大事にしたのは物事に向き合うときの態度、それはつまり原理的教養とでもいうのか、人間が作った「規則」ではなく、自分が信じる思想と言うか哲学、基本的な原理原則、プリン
シプルをしっかり持っているかどうかということである。と書いている。
敗戦後は吉田茂に引っ張り出されて政治の表舞台に立たされた訳ですが、政治の門外漢であるにもかかわらず、ここでも彼は自らのプリンシプルで考え、行動した。
(以上、細川護熙「私のプリンシプル」白洲次郎さんの「原則」から引用)
彼の行動は、まことに颯爽としていますが、私たちがそのことから学ぶのは、なまじなにかの専門家だとかえって事の本質を見抜けない。と言うことである。
ロシアのウクライナ侵攻や物価上昇と低賃金など、国内外の厳しい政治・経済、社会の中での舵取りは判断・行動基準としての「プリンシプル」は大変重要なファクターと考える。
多様性が声高に叫ばれるこの時代を生き抜くためには「原理・原則」に沿った行動の重要性を考える今日この頃です。