小説『思い出の記(徳富蘆花著)』に想いを馳せて
故石原慎太郎さんは1932年9月30日に兵庫県神戸市でお生まれだそうです。
父親の潔氏は海運会社に勤務し、慎太郎氏は13歳頃まで小樽で過ごしますが、父親の東京本社転勤により神奈川県逗子市に引っ越し19歳の時に父親が51歳で急死したことで苦難を乗り越え現在の地位を築いたそうです。
徳富蘆花研究者の津留今朝寿氏によると、石原慎太郎氏の名前の由来は当時絶大な人気を誇る小説家徳富蘆花の『小説 思い出の記』の主人公、菊池慎太郎からだそうです。
小説の主人公菊池慎太郎は徳富蘆花の妻愛子の故郷、肥後國細川藩内の妻籠(つまごめ)の里(現熊本県菊池市)生まれの設定で、文中で「妻籠(つまごめ)の里」は次のように描写されています。
『僕の故郷は九州、九州のちょいとまんなかで、海遠い地方。幅(はば)一里という「もっそう」(ひとり分ずつとして飯を盛る器の物相)の底みたような谷は、僕の揺籃(クレエドル)です。どっち向いても雑木山(ぞうきやま)がぐるりと屏風を立て回し、その上から春は碧(あお)くなり冬は白くなる遠山(とおやま)がちょいちょい顔を出している。』(原文引用)
舞台の熊本県菊池市は徳富蘆花の妻愛子の生まれ故郷で中世南北朝時代に終始一貫して南朝方につき、約500年24代続いた豪族菊池一族のふるさとでもあり、明治維新の立役者「西郷隆盛翁」の祖先発祥の地でもあります。
小説は、父親が事業に失敗し亡くなり、破産し没落した菊池家再興の話で、主人公が心機一転苦難を乗り越え帝大文科に入学し、明治評論社の『明治評論』に寄稿するようになったストーリーです。
故慎太郎氏も若くして父親を亡くし(51歳)一橋大学在学中に、『太陽の季節』で、第1回(1955年度)文學界新人賞と第34回(1955年下半期)芥川賞を受賞し、作品は弟裕次郎を主人公に映画化され、その後多くの作品や著作を発表しています。
そして、1968年の第8回参議院議員選挙全国区で史上最高の301万票で初当選し、衆議院議員(9期)、東京都知事(第14代 – 17代)を経てきたことはいみじくも名前の由来でもある『小説 思い出の記』の主人公、菊池慎太郎と重なると感じるのは偶然でしょうか。
人生における名前の由来は字画や家柄等々様々ですが、理想とする人間像を由来とすることもあります。事実、「NOと言える日本」に感動し石原慎太郎氏のような人間になってもらいたいとの親の勝手な想いから私の長男も慎太郎と命名しました。彼は防大に進み陸自幹部自衛官として今年3月から市ヶ谷の防衛省勤めとなり国防に携わっています。
混沌とした世界情勢の中で確固たる哲学と終始一貫した歴史観を持った指導者が求められる今日、石原慎太郎氏の死が我々日本人の憂国の魂を呼び覚ますことが出来れば幸いです。